<DeNA0-4阪神>◇10日◇横浜
絶好調の阪神5番ジェリー・サンズ外野手が終盤の5号2ランで勝利をたぐり寄せた。
1点リードの9回1死二塁。DeNA平田の5球目変化球を強振。フルスイングした打球は左翼最上部にある看板「ありあけのハーバー」のすぐ下に着弾した。佐藤輝が放った前日9日の場外弾を引き合いに「昨日のテルほどまでは飛ばなかったけど、それでも勝利につながったので良かったよ」とジョークを飛ばした。
5本塁打はヤクルト村上と並んでリーグトップ。同トップの15打点とともに打撃部門2冠だ。頼れる助っ人が攻撃の核になっている。
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4/10(土) 20:22
https://news.yahoo.co.jp/articles/0980ff69ef9274d09fed92b9714252aaae44071e
https://www.nikkansports.com/m/baseball/professional/score/2021/cl2021041001_m.html
試合スコア
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【集合】今年の阪神に優勝を期待していい?
【阪神】90年代に活躍した元エース・仲田幸司が語る第2の人生とは・・・
暗黒時代に刺した一筋の光。日本中の虎党を熱狂させた左腕は、時代を超え逞しく生きていた。亀山・新庄ブームに沸いた1992年の阪神タイガース。そのチームでエースとして勝ち頭の14勝を挙げたマイク仲田こと、仲田幸司さん(56)は現在、タテジマのユニホームから作業服に着替え建築の世界で活躍している。
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「死亡説」や「ガンで入院説」の怪情報も
現職に就いたのは2010年のことだ。先輩でありミスタータイガースの掛布雅之(ハンシンレジェンドテラー・以下HLT)氏のマネジャーも務めたことのある西浦丈夫さんの経営する建設会社、山河企画に入社。1997年の引退後は野球評論家となるも2006年頃には定職を失い、ご縁に助けられた形だった。
当時の仲田さんの状況は最悪だった。所属事務所と評論家を務めていた放送局との関係は悪化。仕事が減少していたところに、離婚も重なり愛娘たちと会えない寂しい生活が続いた。
「あの頃はメシも喉を通らなかったですね。正直、酒に明け暮れてました。ヤケになってましたね。あの頃のお酒は楽しくワイワイやって、家に帰ってバタンキューではない。悪い方に色んなことを考えてしまって、いい酒じゃなかった。次の日に残る酒。そのまた次の日もまた次の日も。メシも食われへんから、どんどん痩せていく*」
当時、一部の関係者の間では「マイク仲田死亡説」や「ガンで入院説」などという怪情報も飛び交った。直接、会った仲間には「俺はピンピンしてるよ」と話してはいたが、仕事もプライベートもうまくいかず疲弊していた。「離婚もあって、評論家もクビでダブルパンチですよ。一つ間違ったら逝ってたかもわからんくらい落ち込んでましたね」と先の見えないトンネルでもがき苦しんでいた。
それでも、仲田さんは立ち上がった。重圧のかかる阪神でエースを張った男のハートは折れなかった。「俺も飯を食っていかなあかん。挑戦してみよう」と建設業界に飛び込んだ。「社長から『(元プロ野球選手という)プライドを捨てられるか』と聞かれました。何でもします。我慢しますと答えましたよ」。入社後は猛勉強で測量士の資格も取得。現在は現場監督を任せられ、安全管理などにいそしんでいる。勤続10年以上とあって「今の仕事に誇りを持っています」と胸を張る。
現役時代は絵になる男だった。米国・ネバダ州生まれで、アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフ。幼少時に沖縄に移り住み、興南高では甲子園に出場し注目を浴びた。男前で長身。左腕から直球と大きくタテに割れるカーブを武器に将来を嘱望された。チームが日本一になった1985年には高卒2年目ながら3勝を挙げた期待の星だった。
ただ、順風満帆の野球人生とはいかなかった。練習では誰もが羨むポテンシャルをみせるが、実戦のマウンドでは成績は伸び悩んだ。毎年のように“ブレーク候補”に挙げられるも、2桁敗戦を6度も経験するなど「ブルペンエース」と揶揄されたこともあった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc4bce22de6baed4ac4828b033e1a17ea16630a2
4/9(金) 18:00配信