早大・早川 8球団視察の前で6回1失点 スカウト「1位じゃないと絶対獲れない」
◇オープン戦 早大2―1中大(2020年9月1日 安部球場)
早大が1日、西東京市東伏見の安部球場で中大とオープン戦を行い、2―1で勝利した。
今秋のドラフト1位候補で最速155キロ左腕の早川隆久投手(4年)は、8球団スカウトが視察する前で先発し、6回を3安打2四球で1失点。最速は149キロで5三振を奪った。
無走者時は140キロ台中盤の直球とスライダーが中心で、走者が出るとツーシームやチェンジアップの比率を増やし、打者に的を絞らせない投球を披露した。
視察した広島・尾形佳紀スカウトは「スピードは抑えていた印象。コントロールも良いし、色々な球種で勝負できている。即戦力として期待でき、1位じゃないと絶対獲れない投手」と評価した。
スポニチ 2020.9.1
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/09/01/kiji/20200901s00001089211000c.html
カテゴリ: 六大学野球
【六大学野球】東大が38年ぶりに甲子園球児2名が入部!現在リーグ戦42連敗中のチームにとって救世主となれるか
東大、38年ぶり!甲子園球児2人入部 リーグ戦42連敗中“救世主”期待 - スポニチアネックス Sponichi Annex 東大、38年ぶり!甲子園球児2人入部 リーグ戦42連敗中“救世主”期待 スポニチアネックス Sponichi Annex (出典:スポニチアネックス Sponichi Annex) |
東大、38年ぶり!甲子園球児2人入部 リーグ戦42連敗中“救世主”期待
東京六大学リーグ戦で42連敗中の東大野球部に今春、2人の甲子園球児が入部した。17年夏の甲子園にベンチ入りした東筑(福岡)出身の別府洸太朗外野手(1年)と18年センバツでベンチ入りした静岡高出身の梅林浩大内野手(1年)だ。東大の甲子園経験者は通算24人目。同一学年の複数入部は82年に都国立から入学した市川武史、川幡卓也以来38年ぶり。浪人生活を経た2人がレギュラー定着を目指す。
東大に心強いフレッシュマンが加わった。「テレビで見て打線はよく打つイメージ。自分も役に立ちたい」。2浪の末、合格した別府が目を輝かした。
東筑3年夏の福岡大会。準々決勝の右翼守備でフェンスに左手首をぶつけ、決勝の福岡大大濠戦は三塁コーチャーに。相手エースの三浦にチームは10三振も3―1と辛勝したが、今や法大のエース格としてリーグ通算8勝を挙げている。「自分だけ三浦と対戦できなかったから今度は神宮で」。同年夏の甲子園初戦・済美(愛媛)戦でも三塁コーチャーとして奮闘した。
将来は宇宙関係の仕事を目指し、同じく理1に進学した梅林は文武両道を目指す。18年センバツは三塁コーチャーとしてチームの初戦突破に貢献。東大では「できれば2年にベンチ入りして、高校とは一つ上のレベルでプレーしたい」とソフトバンク柳田ばりの力強いスイングを夢見て素振りを繰り返す。
80年夏の甲子園で「都国立旋風」を巻き起こした都国立から82年春、1浪でエース市川と捕手の川幡が入学。市川は83年にリーグ防御率2位で、チームも一時優勝の文字がちらつくなど「赤門旋風」の主役となった。別府&梅林も無限の可能性を秘める。
練習再開の20日は人数制限のため1年生は参加できなかったが、井手峻監督は「2人を見るのが楽しみ。私も浪人したから大丈夫」と期待をかける。17年秋以来となる白星、そしてその上を目指す。
スポーツニッポン 2020.5.21
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/07/21/kiji/20200721s00001089093000c.html
【東京六大学】「早慶」「明法立」の関係性が野球ファンを虜に 大正時代に結成された「東京5大学リーグ」とは?
「早慶」対「明法立」の構図が野球ファンを虜に…大正10年に結成された“東京5大学リーグ”(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース 「早慶」対「明法立」の構図が野球ファンを虜に…大正10年に結成された“東京5大学リーグ”(デイリー新潮) Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
長島がプロ入りするまで、プロやきうよりも大学やきうの方が人気あった
【野球】慶應と早稲田 慶早戦ではなく早慶戦と呼ばれるようになった理由とは?【東京六大学野球】
2020年4月18日掲載
にっぽん野球事始――清水一利(10)
現在、野球は日本でもっとも人気があり、もっとも盛んに行われているスポーツだ。上はプロ野球から下は小学生の草野球まで、さらには女子野球もあり、まさに老若男女、誰からも愛されているスポーツとなっている。それが野球である。21世紀のいま、野球こそが相撲や柔道に代わる日本の国技となったといっても決して過言ではないだろう。そんな野球は、いつどのようにして日本に伝わり、どんな道をたどっていまに至る進化を遂げてきたのだろうか? この連載では、明治以来からの“野球の進化”の歩みを紐解きながら、話を進めていく。今回は第10回目だ。
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野球に限らず、ラグビーやサッカーなどのスポーツ全般、さらにはスポーツ以外でも早稲田、慶應の両校が相対する時には「早慶戦」と呼び、新聞記事などでもそういう表記を用いるのが一般的になっている。もちろん、慶應側はいまも昔も「早慶戦」と世の中が呼ぶことをよしとせず、あくまでも「慶早戦」と呼んでいるようだが、これは「早稲田よりも慶應が下にあることが許せない」という気持ちの表れなのかもしれない。
しかし、慶應サイドの人たちが、もし本気でそう思っているのだとしたら、それは大きな間違いだといわざるを得ない。というのは、もともと日本では二者を並べて論じる場合、弱いほうや小さいほう、つまり格下のほうを先にするのが礼儀とされているからである。したがって、慶應側からすれば、慶早戦ではなく早慶戦というほうがいいのである。
1903(明治36)年に第1回早慶戦が行われた時、早稲田から慶應に試合を申し入れる書状が送られた。その際、書状が慶應を立てる内容のものになっていたことからも分かるように、当時、早稲田が新興の弱小チームだったのに対して、慶應は一高と並ぶ強豪チームであった。誰の目から見ても慶應のほうが早稲田よりも格上のチームであることが明らかであり、早稲田自身もそれを認めていたのだ。
そのため、当時の人々は早稲田、慶應両校の戦いに際して、慶應に敬意を表する形でごくごく当たり前に早慶戦と呼ぶようになり、次第にそれが定着していったのだろう。
それでは、早慶戦という呼び方は、いったいいつごろ定着したのだろうか? 当時の新聞紙上で検証してみると、第1回の早慶戦を報じたのは2紙のみで、1紙は「慶應義塾対早稲田大学野球試合」、もう1紙は「早稲田大学 慶應義塾 対抗野球試合」となっている。ところが、この表記方法はあまりにも長すぎて、記事の中で使うにはいささか勝手が悪かったに違いない。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/04180557/?all=1
[野球]東京六大学野球について語る[東大 明治 早稲田 慶應 立教 法政]
「東京脱出」が増加…バスタ新宿は利用客であふれる
緊急事態宣言とともに都内のターミナル駅や空港から「東京脱出」が増えた。
JR新宿駅に直結する日本最大級の高速バスターミナル「バスタ新宿」は7日、利用客であふれ、高速バス乗り場には大型キャリーバッグや荷物を手にした人が目立った。
7日午後9時40分新宿発〜岩手・盛岡駅に8日午前5時5分着の便は、夕方には残り席はわずか。
ネット予約で1人3200円からと、格安料金のためか若者の姿が目立った。
7日時点で岩手、鳥取、島根の3県で新型コロナウイルスの感染者は確認されていない。